第一回 間違いだらけの疥癬対策

 「不潔にすると疥癬になる」「症状がひどければステロイド剤を塗ったり内服させる」「患者は全て隔離する」。さて、○か×か。 こんな質問から始まるamazon:疥癬はこわくないという本を2002年に出版(大滝倫子氏らと共著)してから私のもとには集団発生についての相談が絶えない。現在も高齢者施設などに訪問してアドバイスをしたり、集団検診を行うなど疥癬と密接にかかわる日々を送っている。
 老人ホームなどの高齢者施設関係者にとって、疥癬は最も関心の高い感染症の一つだと思われる。読者の皆さんの中にも、「うちの施設で発生したら一大事」と思っているところが多いだろうし、実際に集団感染を出して大混乱を経験したなどという人もいるのではないだろうか。このような混乱が続いているのは、いまだに効果の高い薬が日本では入手しにくい*1などの事情もあるが、根本的には医療・福祉関係者の間に疥癬に対する間違った知識や対策が根強くはびこっていることが最大の要因だ。
 冒頭の質問も、答えは全て×。しかし、これをきちんと理解している現場は実は医療機関でさえも少ないのが現実なのである。ここに、もともと耳鼻科出身の公衆衛生医である私が疥癬問題に深入りした理由があるといえる。私も今でこそ「六一〇ハップ疥癬の治療や予防のための薬としては使えませんよ」などと現場指導をしているが、実は私も十年前は間違った疥癬対策をしていた。
 私が初めて疥癬対策にかかわったのは、1996年、当時公衆衛生医として勤めていた自治体の中にある特別養護老人ホームで起こった集団感染がきっかけだ。開所してまだ4カ月で、50人の入所者のうち10人以上が疥癬にかかり、併設のショートステイを閉鎖するほどの騒ぎになった*2。職員にも感染者が出て現場はパニック・・・ということで、その年の春に保健所から福祉部門に異動したばかりの公衆衛生医だった私が職員をサポートするためにかかわることになった。
 皮膚科は専門外だったのでまずは教科書をはじめとする文献に当たってみた。そこで驚かされたのは、疥癬にまつわる情報が錯綜していることだった*3。何しろ、あたる文献によって治療法や対策が全く違っていたのである。一体どれが本当なんだと混乱しながら、どうにかこうにか自分なりに「六一〇ハップオイラックスがいいらしい」と判断した。施設には毎日六一〇ハップ浴を行ってもらい、布団も干してシーツも毎日変えてもらっていたのである*4
 でも、なんか違う。かゆみを訴える人は一向にいなくならないし、一体これをいつまで続ければいいのかも分からなかった。
 毎日文献を探しては悩みまくっていた私を目覚めさせてくれたのが、農学博士・吉川翠さんだった。ダニ学が専門の吉川先生の話は、当時の私にとってまさに目からウロコの連続だった。
 曰く「ムトーハップで毎日入浴なんかしてちゃ、集団感染はなかなか終息しない、切れ味のいい殺ダニ剤*5を使いなさい」、「角化型(ノルウェー疥癬でもない限り隔離は必要ない」などなど。ステロイドは免疫力を弱め、かえって疥癬を悪化させる原因にもなるというのだ。これまで自分が多大な労力を使ってやってきたことは全て意味のないことだと教えられ…ガーン!!!
 さっそく疥癬対策を変更。地域の皮膚科医の協力もあって効果の高い疥癬治療薬であるγ-BHCを使用することができ、なんとか集団感染は終息したのだった。その後も他の施設の集団感染に関与し、疥癬の第一人者の皮膚科医大滝倫子氏*6のご指導を受ける機会を得るなど私の疥癬に対する経験値はミョーに増大し続け、気がついたらほとんど「疥癬オタク」になっていた、というわけだ。
 今から思えばあの目ウロコ級の大ショックこそ、皮膚科医でもない私が今でも疥癬問題に取り組んでいる原動力といえる*7。同時に、関わった最初のケースで的確なアドバイスを受けることができた自分はラッキーだったのだと思う。それほど疥癬に対する医療・介護現場の誤解は根強く、正しい知識を広めていく難しさもいまだに実感している。
 疥癬ステロイドの誤用などで角化型疥癬化させてしまうと、対策に難儀するが、一番の問題は誤解によって過剰防衛が蔓延したり、入所者や職員のQOLが低下してしまうことだ。この連載では具体的な疥癬対策はもちろんのこと、現場とのかかわりを通じて見えてきたことから、医療・介護の現場に対するさまざまな問題提起などをしていきたい。

*1:長い間疥癬の第一選択薬だった有機塩素系殺虫剤γ-BHCは日本では1970年代に発売禁止となった。諸外国では農薬としての使用は禁止になった後も医療用として使用することは可能だった。現在γ-BHCに変わって第一選択薬になったペリメトリンは日本では発売されていない。

*2:後知恵だが、ショートステイ閉鎖は過剰な対応だった。

*3:情報が錯綜している理由を私なりに考えているので、今後ディスカッションする予定です

*4:後知恵その2:、毎日の六一〇ハップ浴布団干しやシーツ交換を行っても疥癬を治療するという意味はない

*5:今後の連載で解説する

*6:大滝先生とはその後本文冒頭に挙げた「疥癬はこわくない」執筆をいっしょにさせて頂いた

*7:私の専門は公衆衛生学なので、病棟内の患者さんの分布とか、流行の時間的推移とか、院内感染のアドバイスです。大滝先生と一緒に施設訪問をするうち、門前の小僧的に疥癬の診断はできるようになりました。