第9回 疥癬治療薬その2 γ-BHCとペリメトリン

 今回は日本以外の国で疥癬の第一選択薬*1として使われている薬ペリメトリンと、ペリメトリンの登場まで、長い間第一選択薬だったγ-BHCについて述べる。

γ-BHC(がんま・びーえっちしー、またの名をリンデン)

 γ-BHCDDT*2の親戚のような化学物質(有機塩素系殺虫剤)で、その高い殺ダニ効果により、つい最近まで長い間疥癬の第一選択薬だった。
 γ-BHCは農業用にも殺虫剤として使われた。戦後しばらくの間、世界中の田畑に農薬として、疥癬の治療に使う量なんて目じゃないほどの量、撒かれていた。しかしレイチェル・カーソンが「沈黙の春」で告発したように、DDTやγ-BHCが生物や自然環境に与えるインパクトが問題になり、「農薬として使用するのはやめよう」ということになったのだ。しかし日本以外の国では疥癬やシラミ症の治療に使う医薬品として使うことまでは禁止にならなかった。農薬として使うよりずっと少量で済むからだ。しかし日本では医薬品としてもγ-BHCが販売禁止になり、入手困難になってしまった。日本で今回の疥癬流行が始まったのは1975年頃だが、皮肉なことにγ-BHCが販売禁止になったのもちょうどそのころだった。
沈黙の春 (新潮文庫)
 「よく日本でもγ-BHC疥癬を治療したっていう報告を見るけれど、あれっていけないことなの?」という疑問を持つ方も多いと思う。日本でγ-BHCを使うことはできる。その場合は、医師が責任を持って「自分の担当患者の治療に必要」と判断し、きちんと患者に説明し、同意を得た上で使用しているのだ。またγ-BHCの軟膏は、試薬用のγ-BHC医療機関にしか売ってくれない。最近それも困難になりつつあると聞いている)を購入し、病院内で作っているのだ。当然健康保険の適応は受けられないから、自費診療になるが、上記の手続きを踏めば、医師法にも薬事法にも違反することにはならない。
 γ-BHCはダニや昆虫の神経の興奮が持続した状態にすることで、殺虫効果を現す薬である。人に対しても毒性があり、血液中の濃度が高くなるとけいれんを起こす場合がある。塗り薬として使用する場合は、頻繁に塗りすぎたり、皮膚からの薬剤吸収が促進しているような傷口やびらん面に塗ったりすると血中濃度が上がって副作用が起こるおそれがある。子供は体重あたりの皮膚の面積が広いので、塗り薬の副作用が起こりやすいから、とくに注意が必要である。
 ただし毒性が高いとはいっても、γ-BHCは薄い濃度(疥癬治療には1%γ-BHCを含んだ軟膏を使用する、オイラックス軟膏はクロタミトンを10%含んでいる)で効果を発揮するし、殺ダニ効果が高いので、塗る回数が少なくて済むので、用法・用量さえ守っていれば、オイラックスよりかえって毒性が低いという主張もある*3
 γ-BHCの効き目をオイラックスと比べてみよう。疥癬治療をするとき、オイラックス軟膏は10%軟膏を首から下の全身に毎日5日間〜2週間塗布する必要がある。対して、γ-BHCの場合は1%軟膏を同じく首から下に1回塗って洗い流し、1週間後にもう一回同様に塗って終わりである。1週間間隔で塗布するのは、虫の神経をたたく薬なので、神経ができる前の卵には効きめが不十分なので、一回目の治療で生き残った卵から孵化した幼虫をたたくためだ。γ-BHCは効き目が強い分、低濃度で塗布回数が少なく、治療に必要な原体(有効成分そのもの)の量が少なく、手間もかからないことがわかるだろう。
 γ-BHC疥癬に高い効果を誇り、(日本以外の国では)長い間第一選択薬だったが、次項で説明するより安全性の高いペリメトリンの登場により、その役割を終えつつある。イギリスでは医薬品としてもγ-BHCは使われなくなった。

ペリメトリンPermethrin

 ペリメトリンは蚊取り線香に含まれる殺虫成分の仲間(ピレスロイド類)にあたる殺虫剤である。ペリメトリンなどのピレスロイド殺虫剤は、昆虫やダニの神経には猛毒だが、ヒトなどの温血動物はピレスロイドを急速に解毒する仕組みがあるので、人体への安全性は高い殺虫剤である。ペリメトリンは、かぶれる頻度が高い傾向があるが、γ-BHCより安全性が高いということで、γ-BHCにかわる疥癬の第一選択薬になっている国が多い。
 疥癬に対してはγ-BHCと同じくらい効くか、もっと効果が高いという報告がある。使用法はγ-BHCと同じように、1週間おきに2回だけ塗る方法など、少ない回数で効果を発揮する。
 ただし疥癬治療用のペリメトリン軟膏は日本で発売されていないので、使用するには個人輸入の手続きが必要になる。しかもただの個人輸入ではなく、医薬品扱いになるので、輸入できるのは医師だけになる。
 市販の殺虫スプレーにはペリメトリンを含むものがあるが、絶対に患者さんの治療に使ってはいけない。殺虫スプレーには溶剤など、人体に使用するには適さない成分が含まれているからだ。

医者のホンネ:保険適応外の薬を使うということ

 γ-BHCもペリメトリンも、健康保険でカバーされる薬ではなく、使用する医師に全責任がかかってきてしまうので、処方するかどうかを最終的に決めるのは医師である。私も医者の端くれなので判るが、医師にとってγ-BHCやペリメトリンのような保険適応外の薬を使用するのは落ち着かないものなんである。特に初めて使うのが高齢者施設などだとなおさらだと思う。私は今までに延べ数で100人をくだらない疥癬患者さんにγ-BHCを塗ってきたと思うけれど、γ-BHC軟膏を初めて使用したときはかなり緊張したのを覚えている。もちろん患者さん、その家族、施設の職員、そして施設を管理する人々など、方々に説明をして臨んだ。この「ご説明」というのはやってみると判ると思うが、結構たいへんである。だからこの項を読んだ看護職・介護職の方などにお願いです、「なんかよく効く薬があるらしいのにウチの嘱託医のセンセー使ってくれないのよ」などと思わないで欲しい。
・・・こう書いて終わると無責任だと思うので、追記。嘱託医等のドクターを説得する方法、資料等ご相談をおうけします。専門的なご相談は、こっちのページhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~scabies/に連絡先を記載しておりますので、どうぞ。
 次回は疥癬に対する内服薬として話題になっているイベルメクチンについて書きます。

*1:ある病気について数ある選択肢の中から最初に使用されるべき薬のこと

*2:終戦直後にアタマジラミ対策で日本人の子供たちが頭から大量散布された殺虫剤。頭から白い粉を撒かれた子どもたちの写真を見たことがありませんか?

*3:大滝ら,疥癬の2児童施設における集団発症とその治療経験.皮膚科の臨床,27(6),599-603,1985.