高齢者が集団で暮らすことのリスク:公衆衛生の観点から

 今回と次回は筆者が疥癬対策などを訪問して感じた、高齢者施設の問題点について書きたい。医療者の目から見て改善すべき点、とくに健康問題に関する危機管理の視点から現在の高齢者施設が抱えるネガティブな面を指摘する。

高齢者施設と病院の違い

 私は医者なので、私の「専門職としての知識・常識」が形成された舞台は病院、それも急性期病院である。最近医師の臨床研修のメニューに地域医療が導入されたが、現在第一線で働いている多くの医者の思考回路は病院を軸に動いているのではないかと思う。
 そんな私が疥癬パニックを追って、さまざまな事業所・施設を尋ね歩き、つくづく感じていることがある。「高齢者施設は病院とは違うんだなぁ」ということだ。高齢者福祉施設にも特別養護老人ホーム、有料老人ホーム、いまはやりのグループホーム・・といろいろある。老人保健施設は施設長が医師でなくてはならないというしばりがあり、保険制度の上からも文字通り福祉施設医療機関の中間的な位置づけにある施設である。だから本当は福祉施設医療機関というふうに単純な線引きをすることができないのも知っている。しかし、やはり高齢者福祉施設(以下ひっくるめて老人ホームと呼ぶ)と医療機関は違うのだ。

老人ホームの方が病院より優れている点

 それではどう違うのだろうか?もちろん、老人ホームの方が医療機関に比べて優れている点もたくさんある。治療のための収容施設ではなく、生活の場であるから、レクリエーションもあるし、頻繁にお風呂にも入れる、外出だってできる(多くの病院では主治医に外出許可をもらわなくてはならい)。日々のニュースで医療過誤や、ドクターハラスメントなどの記事を見るまでもなく、現状の病院には改善すべき点が山のようにある。

病院の方が老人ホームより優れている点

 だが、言うまでもないことだが、疾病の管理については病院の方が優れている。私が疥癬の相談を受けて訪問した老人ホームの中には、胃瘻があいていたり、ステロイドホルモンを長期に内服していたりして、病院に入院している人とさほど変わらない人が多く入所していて驚いたところもあった。そのような施設では医療行為のニーズは大きいはずだが、常勤医はおらず、配置されている看護職はわずかで、職員の多くは医療行為ができないはずの介護職である。なぜか?そこが医療機関ではなく、高齢者施設だからだ。もちろんそのような施設では必要があれば病院への送迎サービスを行っているし、受診の結果そのまま入院となることはある。最低限の医療ニーズは満たされているのだ。

老人ホームでの違和感

 しかし、病院で常識を身につけた私は、老人ホームでどうしようもない違和感に襲われることがある。その違和感が決定的なものになったのは、ある施設で「転倒予防のための雑魚寝部屋」に足を踏み入れた瞬間であった。ベッドが4台あった部屋からはベッド枠が撤去され、床に厚さ5mmくらいのクッション材を敷き詰められていた。壁に沿って2人がけ程度の低いソファがいくつかと、ベッドのマットレスが数枚、床に直に置かれていた。ソファやマットレスの上には入所者がごろ寝をしていた。中には2人で寄り添って手をつないで仲良く毛布をかぶっている女性もいた。
 それは一見ほのぼのした風景に見えたかもしれないが、感染症に取り組んでいる医療関係者なら、誰もが違和感を持つはずの光景であった。その施設は疥癬の集団発生でいろいろ対策をしてやっと収束してきてほっとしたばかりのところで、「こんな雑魚寝状態の部屋で疥癬がぶり返したら、また大勢感染者が出る!」と、私は同行したドクター共々、目をむいた(普通の疥癬は感染力が強くないが、お互いの体温を感じるような状態で雑魚寝していたら、かなりの確率で感染する)。
 居合わせた職員に、なぜそのような雑魚寝部屋を作ったのかを尋ねたら、職員は「転倒による怪我を防ぐためです」と答えた。そのホームでもご多分に漏れず。認知症の入所者が徘徊して転倒し、外傷を負うことが問題になっていた。そこで日中、みんなで集まってごろ寝ができるようなスペースを作り誘導すれば、あまり徘徊しなくなるだろうし、転倒しても重症を負うことがないだろうと考えたらしい。
 なんというナンセンス!日中の活動を促すような環境作りがリハビリテーションの思想ではなかったか!クッション材を敷いた部分と、リノリウムの床の境目の5mmの差こそ、一番高齢者がつまずきやすい段差なのに!!すぐに施設管理者を呼んでもらい、転倒による外傷予防効果も疑問であるし、なにより感染症管理上困ることを伝え、雑魚寝部屋を撤去してもらった。その後施設の看護師さんから「『先生に言いつけたのは誰だ!』って私たち管理職にすごく怒られちゃいましたよ」と報告をもらった。そういう問題じゃないと思うのだが・・・
 雑魚寝部屋を見て、その後の施設管理者の対応を聞いた私は確信した。その施設では感染症管理の「キホン中の基本」が認知されていなかったことを。そしてその背景には、高齢者ケアに携わる職員の教育の不備や、極論すれば入所者が医療サービスを受けられるかどうかは、医療ニーズがあるかどうかではなく、彼(or彼女)が居る施設がどんな施設かで決まるという、制度上の問題があるということを。
 現状の高齢者施設では「生活」を重視している。それはそれでよいことだ。しかし、その生活の主体である高齢者は、さまざまな疾病を抱えていたり、転倒などのリスクを負っていたりする人たちであることを忘れてはならない。とくに感染症管理の側面からは「集団」で暮らすことそのものがリスクになる。「生活」が前面に出るあまり、虚弱な高齢者が集団で暮らしていることに伴うリスクに対応できる環境を整えることに無頓着になってはいないだろうか?
 次回は「高齢者が集団で生活することに伴うリスク」を、感染症管理の面から詳しく論じたいと思う。