第8回 疥癬治療薬その1 オイラックスと六一〇ハップ

 前回は疥癬の治療に使われる薬に共通する性質を説明した。疥癬の根治療法に使われる薬は殺虫剤であること、かゆみ止めは対症療法であって、疥癬を治す薬ではないことなど、薬を使用する上で知っておいてほしいことをまとめて紹介した。
 今回からは、日本で疥癬の治療に使われている個々の薬の特徴について解説する。

オイラックス

 いままで疥癬の治療というと、日本では入手の容易さからこのクロタミトン(商品名オイラックス)か、次に挙げる六一〇ハップが一般的だったと思う*1
 オイラックス軟膏はクロタミトンという物質が10%含まれている。クロタミトンはもともと動物の疥癬の治療のために開発された「殺虫剤」である。つまり疥癬の根治療法の薬である。疥癬の患者にクロタミトンを塗布すると痒みの改善が見られることから、痒み止めとしての効果もあるとされている。クロタミトンは塗ると軽い灼熱感(皮膚が熱くなるような感じ)を起こすので、その刺激により痒みが打ち消されると考えられたせいもあるかもしれない。オイラックス軟膏は疥癬に対して根治療法と対症療法の、両方の効果を期待され、使われている。
 しかしオイラックスの痒み止め効果に関しては、疑問を呈する意見がある。1984年にSmithらが、二重盲検という医学的に厳密な研究*2によって「クロタミトンにはかゆみ止め効果がないか、あったとしても弱い」という結果が出ている。このような背景を持つオイラックス軟膏だが、日本での健康保険の適応病名は「皮膚掻痒症(ひふそうようしょう:皮膚がかゆい状態)」で、「疥癬」は適応外である。まあ、たいていの疥癬は痒いので、あまり困るわけではないが、不思議なことではある。
 現場では「オイラックスは痒みにも効いて、疥癬も叩けるから便利!」と思われてか、前回も触れたように、疥癬が心配なときにオイラックスが消毒剤のように使われていることがあるが、マジでやめてほしい。理由は前回しつこく書いたので省くが、「疥癬治療のためにオイラックスを塗るなら、医師の確定診断を受けた後で首から下の全身に!!!」ということを強調したい。
 オイラックスに関して注意しなくてはならないポイントのもう一つは、ステロイド入りのオイラックスを使用しない、ということである。ドラッグストアで売っている市販のオイラックス(”オイラックス”の後に、GとかPZとかデキサとか付く)には、ステロイドが入っているので、疥癬に使うべきではない(本連載の第2回で述べたように、ステロイド疥癬を悪化させる)。病院等で疥癬に処方されているのは、市販されていないステロイドを含まないタイプのオイラックスである
 オイラックス疥癬の治療薬としては入手しやすい薬だが、海外で第一選択薬*3になっているペリメトリンなど他の薬に比べると殺ダニ効果はあまり高くない。疥癬を治療するためには5日〜2週間、首から下の全身に塗布しなくてはならない。治療のためには集中的に、全身にしっかり塗ろう。そして決められた回数塗り終えたら、患者さんが痒がるからといって、むやみやたらとオイラックスを塗り続けないこと。前述のように疥癬治療に使う無印オイラックスにかゆみどめ効果はあまり期待できないし、かぶれてしまうこともあるからだ。痒みには抗ヒスタミン剤の塗り薬や、飲み薬を処方してもらったほうがよい。ヒゼンダニがクロタミトン耐性になっているという報告もあるので、せっかくの薬の効果を生かして、副作用を防ぐためにも中途半端な使い方はやめよう

六一〇ハップ

 六一〇ハップはおそらく日本だけで使われている「疥癬治療薬」である。かっこ付きにしたのは筆者が六一〇ハップ疥癬治療薬だとは認めていないからだ。私は高齢者施設の疥癬の流行に六一〇ハップで立ち向かおうというのは無謀だと思う。六一〇ハップは家庭などで気軽に温泉の効果を享受するための入浴剤であり、疥癬「治療薬」とは考えない方がよい。
 六一〇ハップには古くから疥癬の治療に使われてきたイオウが含まれているので、ヒゼンダニに抑制的に働くと考えられるが、浴用の六一〇ハップの濃度は疥癬治療用の硫黄軟膏の濃度に比べてずっと薄い。筆者が初めて疥癬と遭遇し、対策に苦労した施設では、お年寄りに毎日六一〇ハップのお風呂に入ってもらっていたのに、疥癬を発症する方がいた。つまり潜伏期からの発症予防効果も不十分だったのだ。「じゃあ、濃くすれば効くのか?」というと、濃くすると今度は皮膚刺激性が強すぎて、疥癬による皮疹なんだが、六一〇ハップかぶれなんだか判別が付きにくくなる。もともと皮膚が乾燥しやすいお年寄りが、毎日のように六一〇ハップのお風呂に入っていると、皮膚の状態がかえって悪くなってしまうことが(特に冬場は)多い。
 そんな六一〇ハップが広く疥癬治療薬の代表選手みたいに思われてしまっていたのには、日本特有の事情がある。どんな事情かは次回、γ-BHCの項で詳しく述べるが、日本で今回の疥癬流行が始まった昭和50年代初頭には、入手可能な疥癬治療薬がほとんどなかったのだ。だから困った皮膚科の先生たちが「イオウは古くからの疥癬治療薬だから、イオウを含む六一〇ハップも効くだろう」ということで、苦肉の策で科学的根拠もないままに選択した治療法が一人歩きを初めて現在に至る、ということらしい。
 そんな六一〇ハップだから、消毒薬代わりに介護者の手指消毒に使う、とかも意味がない。そんな手間をかけるくらいなら、石けんで手洗いをした方が、他の感染症も予防できるし、よっぽどいいだろう。
 六一〇ハップにはもっと効果が高くて皮膚刺激性も低い疥癬治療薬がある現代に「治療薬」として用いるほどの効果はない。六一〇ハップは「施設にいながらにして温泉気分を味わうためにときどき使用する」というのがよいのではないだろうか?
疥癬

*1:この状況は次回解説するように世界標準からは異なっている

*2:Smith EB et al, "Crotamiton lotion in pruritus, Int. J. Dermatol.Vol23,684-685,1984.左右対称に発疹が出ている9人のアトピー性皮膚炎と22人の虫刺されの患者さんに10%クロタミトンローションと、ローション基剤(偽薬)を左右半身ずつに塗布して痒み止め効果を比較した。患者さんにも、評価を行う研究者もどちらの半身に本物のクロタミトンが使われたのか知らされなかった。痒み止め効果と皮疹の改善傾向は本物と偽薬で差がなかった。

*3:ある病気に対して真っ先に選択される薬